はじめに
「さっき言ったよね?」「なんで途中で止まっちゃうの?」。子どもと関わっていると、つい口から出てしまう言葉です。
でも、その子はふざけているわけでも、やる気がないわけでもないことがあります。頭の中で「覚えておく」と「考える」を同時にこなす力、ワーキングメモリの使い方に、その子なりの苦手があるのかもしれません。
このノートでは、ワーキングメモリとは何か、弱いとどんな困りごとが起きるのか、発達障害とどう関係するのか、家や学校でどう関われるのかを、順番に整理します。
1. ワーキングメモリとは何か
ワーキングメモリは、必要な情報を少しのあいだ頭に置いておきながら、それを使って考えたり作業したりする力のことです。日本語では「作業記憶」とも呼ばれます。1970年代にイギリスの心理学者バドリーとヒッチが示した考え方がもとになっています。
たとえば「3+4+5」を暗算するとき、まず「3+4=7」を出し、その「7」を覚えたまま「+5」をして「12」にたどり着きます。途中の「7」を置いておく場所と、次の計算をする場所。この両方を受けもっているのがワーキングメモリです。
よく「頭の中の作業台」にたとえられます。作業台の広さも、台の上の片づけ方も、人によってちがいます。広い人もいれば、少ししか物を置けない人もいます。
ただ覚えておくだけの「短期記憶」とちがい、ワーキングメモリは覚えた情報を使って何かをするところまでを含みます。聞いた指示を覚えながら体を動かす、読んだ文の前半を覚えながら後半を読む、といった日常のあらゆる場面で使われています。
2. ワーキングメモリが弱いと、どんな困りごとが起きる?
作業台が小さかったり、物があふれやすかったりすると、次のような困りごとが出やすくなります。
- いくつかの指示を一度に言われると、途中で抜ける:「手を洗って、ランドセルを置いて、宿題を出して」の最後だけ忘れる
- 板書を写すのに時間がかかる:黒板を見て、覚えて、ノートに書く、の往復で、覚えたものが消えてしまう
- 繰り上がりのある計算や暗算でつまずく:途中の数字を置いておけない
- 長い文章の意味がつかみにくい:後半を読むころには、前半の内容が抜けている
- 忘れ物・なくし物が多い:「置いた」ことを覚えておけない
こうした失敗が続くと、子どもは「どうせできない」と自信をなくしがちです。本人の努力不足ではなく、作業台の使い方の問題だと知っておくだけでも、関わり方が変わります。
3. ワーキングメモリと発達障害の関係
ADHD(注意欠如・多動症)やLD(学習障害)のある子どもには、ワーキングメモリの弱さが見られることが多いと言われています。ADHDの「うっかり」や「話の途中で別のことを始める」、LDの「読み」「計算」のつまずきの背景に、ワーキングメモリの使いにくさがあることもあります。
ただし、ワーキングメモリが弱い=発達障害、ではありません。診断のない子にも、苦手さはあります。逆に、発達障害のある子がみんな弱いわけでもありません。
ワーキングメモリの得意・苦手は、WISC(ウィスク)などの知能検査の「ワーキングメモリー指標」から、目安を知ることができます。数字だけで決めつけず、ふだんの様子と合わせて見ることが大切です。
4. 家や学校でできるサポート
ワーキングメモリそのものを「鍛えて広げる」方法は、今のところはっきりした効果が確かめられていません。練習した課題に近いものは伸びます(近い転移)が、学力や知能など離れた力への効果(遠い転移)は確認されていません。それよりも、作業台に載せる量を減らす工夫のほうが、すぐに役立ちます。
- 指示は一度にひとつ:「手を洗ってきて」ができたら、次の「ランドセルを置いて」を伝える
- 耳だけでなく目に見せる:やることを紙やホワイトボードに書いて、終わったら線で消す
- 途中の計算を書いてよいことにする:暗算にこだわらず、メモを作業台の代わりにする
- 文章は区切って見せる:紙で隠しながら一行ずつ読む、段落ごとに「何が書いてあった?」と確かめる
- 忘れ物は仕組みで防ぐ:持ち物チェックリスト、玄関の決まった場所に置く
どの工夫が合うかは子どもによってちがいます。一日の流れを先に知りたい子もいれば、「今やること」だけのほうが集中できる子もいます。その子の様子を見ながら、少しずつ合う形を探していきましょう。
結び
ワーキングメモリは、見えにくい力です。だからこそ、「何度言ってもできない」が、実は「一度に載せきれない」だったと気づくだけで、子どもへの声のかけ方が変わります。
責める前に、作業台に載せる量を減らしてみる。その小さな工夫が、その子の「できた」を増やしていきます。
参考資料
- Baddeley, A. D., & Hitch, G. (1974). Working memory. Psychology of Learning and Motivation, 8, 47–89.
- 湯澤正通・湯澤美紀(編著)『ワーキングメモリと教育』北大路書房、2014年
- Melby-Lervåg, M., & Hulme, C. (2013). Is working memory training effective? A meta-analytic review. Developmental Psychology, 49(2), 270–291.
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書いた人 たぶ先生(いわおひろあき)
東北大学大学院文学研究科で社会学(理論社会学・地域社会学)を学び、博士後期課程まで進む(博士論文は未提出)。早稲田大学卒。発達特性のある子どもたちとのマンツーマン療育・教育に2010年から携わる。仙台で発達障害専門の家庭教師としてスタートし、児童発達支援・放課後等デイサービスの現場、複数施設のマネジメントを経験。いまは発達障害のインタビュー研究を続けながら、オンライン家庭教師・療育相談「いっかく」を開いている。
保育士/中学校・高等学校教員専修免許(社会・公民)/文学修士(専攻は社会学)/社会福祉士/児童発達支援管理責任者/産業カウンセラー
